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当方見聞録

第9章車両に見る江ノ電の一世紀

第2回

昭和初期~昭和20年代

 昭和4年に営業運行を開始した100形〔101~104号車〕は、単行運行を前提とした、全長が11mあまりの完全な路面電車スタイルの車両でした。このグループの特徴は、木造車全盛時代にいち早く半鋼製の車体を採用した点で、当時としては先進的な試みでした。

 また、今日の江ノ電車両の基礎を築いた車両でもあり、その面影は、昭和32年に103・104号車の組み合わせで連接車化し、現在も活躍を続ける300形303号車に見られます。
 戦前に登場した車両はこれら4両のほか、昭和6年に新造された6両〔105~110号車〕と、西武鉄道ほか3社より譲り受けた7両〔111~117号車〕に大別され、譲受車の中には側面に優雅な丸窓を備えた111・112号車(旧西武鉄道)や軽便鉄道並みの車体幅で後に栃尾電鉄に譲渡された115号車(旧武蔵中央電気鉄道)等、個性的な車両もありました。一方、江ノ電が当社の経営になる以前から在籍する単車〔2~24号車〕については、昭和6年開催の「開通30周年記念祝賀会」のメインイベントとして実施された「焚車祭」において七里ヶ浜沖合で燃やされた4号車をはじめ、9両〔4~7・9・10・13・14・24号車〕を廃車し、5両〔2・3・8・11・12号車〕が納涼電車に改造されました。なお、その他の単車は、17~22号車が他社へ譲渡され、15・16号車が連結車に、23号車が電動貨車1号車に改造されました。納涼電車は、当時有数の避暑地として名を馳せていた湘南にふさわしい開放的な車両で、水色を基調とする派手な塗装と窓を取り払った開放的なスタイルが人気を集めたといわれています。



戦前の花形 「納涼電車」 (昭和14年)

東京急行電鉄より転入した電動貨車2号車

 その陣容は、前述の単車改造車に、昭和11年に新造した2両〔111・112号車〕を加えた7両で、太平洋戦争が勃発するころまで運行していました。ちなみに111・112号車は車体のみ新造され、同じ車号の一般車と台車を共有し、季節に応じて車体を載せ換えていました(後に同番の一般車共々113・114号車に改番)。

 納涼電車とともに興味深いのが、15・16号車を改造した連結車15号車(改造後改番)でしょう。昭和9年に誕生した同車は、全国的にもきわめて珍しい単車を組み合わせた貫通式の連結車で、これにより輸送力の増強が期待されていました。しかし、単車どうしを幌で結ぶという試みは急曲線の通過に問題があったようで、期待通りの成果はあげられずに昭和13年に廃車になっています。

 このように昭和初期の江ノ電は、新鋭のボギー車100形を主軸に、単車が最後の力走を見せ納涼電車が彩りを添えていましたが、時節柄戦中戦後は、昭和21年に東京急行電鉄より電動貨車2号車を譲り受けたのと、昭和24年に納涼電車113・114号車を改造した初代200形〔201・202号車〕が登場した以外は、目立った車両の動きは見られませんでした。それでも、幸いに当社沿線は戦災を免れたため100形は戦後も主役の座を守り、107・108号車に至っては「タンコロ」の愛称で親しまれながら昭和55年まで走り続けました。

『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。400ページにわたるその構成内容は、鉄道以外の事業にも焦点をあてることにより社史としての平準化をはかり、新たに発掘された史料や貴重な写真も多数収録されております。