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当方見聞録

第9章車両に見る江ノ電の一世紀

第3回

昭和30~40年代

長閑さが残る鵠沼-湘南海岸公園を行く 305号車試運転列車

 昭和30年、当社は鉄道車両近代化に着手しました。その概要は、総括制御方式による2両編成化で、先陣をきって連結構造の200形と連接構造の300形301号車が相次いで就役しています。これらは、既存の100形や旧200形(202号車)の改造により誕生した車両で、昭和30年1月に112号車と202号車を連結貫通化した200形、同年4月に113号車と114号車を組み合わせた300形が営業運行を開始しました。

 同時期に連結車と連接車が登場したのは、経済性や運行上の面で両構造を比較するためで、経済性では改造費が安価な連結車に軍配が上がりました。しかし、曲線区間が多い当社路線においては、圧倒的に連接構造が有利であるのが比較運行のすえ判明し、後続車も連接車として新造、あるいは改造されることになりました。また、200形も昭和43年に連接化され306号車として生まれ変わっています。

 この近代化では、さらに5編成の改造が計画されており、500形501号車(31年8月就役)・500形502号車・300形302号車・303号車(32年4月就役)・300形304号車(33年4月就役)・300形305号車(35年4月就役)が登場しています。このうち302・303・304号車は、301号車同様に100形の組み合わせにより誕生した連接車でしたが、501・502・305号車にいたっては、旧型車の台枠や機器を流用しながらも車体は新造されました。なお500形については、当方見聞録第4章『500形の軌跡』をご参照していただくとして、本章では305号車を紹介することにします。

 305号車は、京王帝都電鉄(現京王電鉄)の木造車の台枠を利用した新造車体に新製の台車を履いた準新車ともいえる車両で、平成元年に冷房化され現在も活躍しています。登場時の同車の特徴は、軸箱を防振ゴムで囲み台車枠自体を固定しないことによって車両の振動を吸収するという工夫が凝らされている点があげられ、さらに大きな改造を受けていない車体は、張り上げ屋根に「バス窓」と呼ばれるHゴム支持の大きな窓が軽快な印象を与えています。

 昭和40年代の鉄道事業は、廃止が検討されるなど、モータリゼーションの影響がもっとも大きかった時期で、大掛かりな設備投資は見送られていました。それでも、昭和39年から46年にかけて段階的に実施された集電装置の変更(ポール→ビューゲル→パンタグラフ)のほか、特殊続行運転の廃止、4両編成列車の運行開始(いずれも46年6月)や単線自動閉そく信号装置の使用開始(46年12月)など、この時期に路面電車的イメージから都市間鉄道への脱却が図られました。

さらに、特殊続行運転の廃止にともなって連結車両の増備が必須となり、昭和45年に東京急行電鉄玉川線より4両(当社車号は601+602号車・603+604号車)、上田交通より2両(当社車号は801+802号車)を譲り受けています。この600形と800形は中古車ということもあって、登場時は目立たぬ存在でしたが、晩年は「赤電」や「チョコ電」(初代)として脚光を浴びました。

極楽寺車庫に並んだ昭和40年代の主力車両

『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。400ページにわたるその構成内容は、鉄道以外の事業にも焦点をあてることにより社史としての平準化をはかり、新たに発掘された史料や貴重な写真も多数収録されております。