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総合トップ江ノ電ファンページ江ノ電博物館当方見聞録第2章 第1回 江ノ電の誕生(平成16年1月号掲載)
当方見聞録

第2章ふたつの江ノ島電気鉄道

平成16年1月号掲載

第1回

江ノ電の誕生

第2章

江ノ電は、ふたつの江ノ(之)島電気鉄道とふたつの電力会社の手により100年の歴史を育んでまいりましたが、本編では両江ノ島電気鉄道の起源に焦点を当て、その誕生経過と育成契機を振り返りたいと思います。
 時は明治中期、日清戦争の勝利により日本経済は隆盛を極めていました。こうした背景のもと、既成鉄道事業者の成功を目の当たりに見た多くの資本家たちが鉄道の建設を計画し、湘南地区に通じる鉄道の計画も10路線を超えていました。こうした動きは、古くから庶民の招福祈願、あるいは大山参りの精進落しの場として定着していた江の島をはじめ、風光明媚な湘南地区の観光価値の高さを如実に示している証と言えましょう。
 これら計画された鉄道の中で、唯一開業にこぎ着けたのが当社鉄道の生みの親である江之島電気鉄道が建設した江ノ電であります。同社は、当時神奈川県会議員の要職にあった福井直吉ほか4名の有志が発起した鉄道会社で、明治31年12月に鉄道敷設特許状を取得後、33年11月に設立、35年9月1日に藤沢~片瀬(現江ノ島)間を開業させています。




 しかし、開業に至るまでの道のりは険しかったようで、沿線にあたる川口村会(片瀬町を経て昭和22年藤沢市に編入)による反対決議や競合する人力車組合の反対運動など、幾多の困難が待ち受けていたと言われています。前者は、すでに鎌倉~藤沢間の鉄道敷設免許を取得していた鎌倉鉄道の存在に加え、江之島電気鉄道が軌道の敷設を予定していた村内の道路が狭いという理由で容認されず、一方後者は営業上の死活問題として反対していたそうです。そして、こうした状況にありながら同社が幸運だったのは、計画経路に隣接する鵠沼村が江ノ電の建設に好意的な姿勢を示していたのと、鎌倉鉄道が鉄道の建設を断念したほか、両村の有志から建設用地の提供を受けたことにより道路上に軌道を敷設する必要がなくなり川口村の反対要因が解消されたことが挙げられます。さらに、険悪化しつつあった人力車組合との軋轢も自由党議員の仲裁によって和解に至り、これを機に開業機運は高まっていきました。

 ところで、江ノ電は日本で6番目に開業した電気鉄道ですが、初めてドイツ製の電装機器を装着するなど新機軸を盛り込み、開業に向けて用意された4両の電車も当時の常識を覆すビューゲル式集電装置を採用したことにより異彩を放っていました。また、当時は電気事態が貴重な存在であったために、電力供給源として発電施設の建設も不可欠となり、軌道敷設工事に並行して発電所の建設に着手し、35年8月中旬から実施された試運転より送電を開始しました。
 こうして開業を迎えた江之島電気鉄道は、第一期開業区間の藤沢~片瀬間の営業のかたわら、並行して延伸工事を進め、36年6月の片瀬~行合(現七里ヶ浜付近)間開業を皮切りに、追揚(現七里ヶ浜―稲村ヶ崎間)・極楽寺・大町(現和田塚―鎌倉間)と路線を延伸、43年11月4日に藤沢~小町(鶴岡八幡宮二ノ鳥居前)間全線の開業をみたのであります。

『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。400ページにわたるその構成内容は、鉄道以外の事業にも焦点をあてることにより社史としての平準化をはかり、新たに発掘された史料や貴重な写真も多数収録されております。